立正安国論
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#立正安国論#新人間革命
新人間革命4巻 立正安国の章より
この一九六一年(昭和三十六年)という年も、自然災害や疫病が猛威をふるった年でもあった。
五月末には、台風四号の影響によるフェーン現象のため、東北・北海道で火災が発した。
更に、梅雨期に入ると、六月二十四日から一週間以上にわたって、豪雨に見舞われた。長野県の伊方面をはじめ、本州、四国で大きな被害が出て、死者・行方不明者は、全国で三百五十人を超えた。
また、当時、ポリオ(小児マヒ)が大流行し、幼い子を持つ親たちを、恐怖に陥れていた。
ソ連などには、ポリオに効く生ワクチンがあり、既に、前年、ソ連から日本に十万人分の寄贈の話が進んでいたが、日本政府は、それにストップをかけた。
そこには、反ソ的な政治勢力の意向や、法律(薬事法)をタテにした硬直した役所の姿勢、自社の薬が売れなくなることを恐れた一部の製薬会社の反対などもあったようだ。
国民の生命よりも、国家の立場や権威、企業の利害が優先されていたのだ。
しかし、子供たちを救おうと、生ワクチンを求める人びとの声は、国民運動となって広がった。
その民衆の力の前に、ようやく政府は重い腰を上げ、生ワクチン千三百万人分の緊急輸入を決定。この年の七月、カナダから三百万人分、ソ連からは実に一千万人分の生ワクチンが届けられたのである。
25 立正安国(25)
国際情勢を見ても、東西冷戦の暗雲が影を落とし、世界のあちこちで、対立と分断のキナ臭い硝煙が漂っていた。
四月には、社会主義化を進めるキューバに危機感をいだいたアメリカが、亡命キューバ人部隊を後押しして軍事侵攻を企て、あえなく失敗する事件があった。
いわゆる″キューバ侵攻事件″である。アメリカの前政権が計画していたものとはいえ、平和への希望を担って登場したケネディ新政権は、初めて、国際的な批判を浴びることになる。
また、インドシナ半島のラオスでは、アメリカの支援を受けた右派、そして、中立派、左派の三派が入り乱れての内戦状態にあった。五月ごろから、ようやく、停戦と連合政権の樹立へ向けて、具体的な交渉が進められるが、その後も混乱は収まらなかった。
更に、北緯一七度線を境にして、ベトナム民主共和国(北ベトナム)とベトナム共和国(南ベトナム)に分断されたベトナムでも、統合への民衆の素朴な願いをよそに、対立のは、一層、深まろうとしていた。
アジアの共産主義化を恐れるアメリカは、南ベトナムを支援する一方、北ベトナムと南ベトナム国内の共産主義勢力の排除に腐心してきた。前年末に結成された南ベトナム解放民族戦線に対しても、アメリカは″北からの侵略″と敵視し、一段と南ベトナム政府への軍事援助を強めていくことになる。
こうして世界が激動を続けるなか、六月の三日、四日の両日、ケネディが大統領に就任して以来、初の米ソ首脳会談がオーストリアのウィーンで開催された。世界の目は、東西の緊張緩和への期待をもって、この会談に注がれた。
四十四歳の若き力にあふれたケネディと、六十七歳の熟達した手腕のフルシチョフは、白熱した議論を展開した。
しかし、ベルリン問題、核実験停止の問題で、フルシチョフが強硬姿勢を崩さなかったこともあり、両国の対立を浮き彫りにする結果に終わった。
山本伸一は、混迷する世界の動向に、切実な思いをいだいていた。
立正安国の「国」とは、単に一国に限ったものではない。一閻浮提であり、現代でいえば、広く世界を指すものといえる。
その世界に、恒久平和の楽園を築き上げるために、人間主義の哲学をもって、人びとの生命の大地を耕していくことが、立正安国の実践であり、そこに創価学会の使命がある。
彼は、それを、この夏季講習会で、訴え抜いていかねばならないと決心した。
26 立正安国(26)
夏の講習会が始まった。
その中心となったのが、山本伸一の「立正安国論」講義であった。
講義の範囲は、御書の三十ページ十六行目の「主人の云く、客明に経文を見て猶斯の言を成す心の及ばざるか理の通ぜざるか……」から、本文の最後までであった。「立正安国論」の結論部分である。
総本山の大講堂に集った参加者に、伸一は、気迫と情熱を込めて、講義していった。
「立正安国とは、わかりやすく言えば、ヒューマニズムの哲理を根本に、一人一人が自らの人間革命を行い、社会の繁栄と、世界の平和を創造する主体者となっていくということです。
大聖人の御一代の弘法は『立正安国論に始まり、立正安国論に終わる』と言われております。
大聖人が、この『立正安国論』をお認めになった目的は、地震や洪水、飢餓、疫病などに苦しみ喘ぐ、民衆の救済にありました。
そして、そのために、まことの人間の道を説く、仏法という生命の哲理を流布し、人間自身の革命を目指されたのです。つまり、一人一人の悪の心を滅し、善の心を生じさせ、知恵の眼を開かせて、利己から利他へ、破壊から創造へと、人間の一念を転換する戦いを起こされた。
なぜなら、人間こそが、いっさいの根本であるからです。肥沃な大地には、草木が繁茂する。同様に、人間の生命の大地が耕されれば、そこには、平和、文化の豊かな実りが生まれるからであります……」
彼は、初めに「立正安国論」の概要について語った後、御文に即して、講義していった。
仁王経の「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る」の個所では、三災七難の原因について論じた。
「鬼神というのは、目に見えない超自然的な働きをもつものですが、現代的に言えば、思想も、その一つといえます。
つまり、国土、社会が乱れる時には、まず、思想の乱れが生じていきます。
そして、この思想の混乱が、人びとの生命をみ、意識や思考を歪め、それが、社会の混乱をもたらす原因となっていくのです。
たとえば、人びとが、利己主義に陥って、私利私欲のみを追い求め、刹那主義や快楽主義などに走れば、当然、社会は荒廃していってしまう。
また、別の例をあげれば、ドイツの独裁者ヒトラーの、ナチズムという思想に、人びとが狂わされてしまった悲惨な結果が、あのナチスによる侵略戦争であり、大量殺戮でした」
立正安国(27)
山本伸一は、流れ出る汗を拭おうともせずに、講義を続けた。
「社会の混乱や悲惨な現実をもたらす原因は、人間という原点を忘れた考え方に、皆が心を奪われていくことにあります。
現在、日本にあっては、昨年の新安保条約の成立以来、政治不信、政治離れが起こり、人びとの関心は、経済に向かっている。
確かに、党利党略に終始し、実力行使や強行採決など、議会制民主主義を踏みにじる現在の政治を見ていれば、国民が失望し、不信をいだくのも当然かもしれない。
それも、政治家が民衆の幸福を、人間という原点を忘れているからです。
しかし、だからといって国民が政治に無関心になって、監視を怠れば、政治の腐敗は更に進んでいく。
また、人間を忘れた経済も冷酷です。ただ利潤第一主義、経済第一主義に走れば、社会はどうなるか。
豊かにはなっても、人心はすさみ、自然環境の破壊も起こり、結局、人びとが苦しむことになります。
科学の世界にあっても、科学万能主義に陥れば、その進歩は、かえって、人間性を奪い、人間を脅かすものになっていきます。
ヒューマニズムに帰れ──これが、現代的に言えば日蓮大聖人の主張です。そして、政治や経済、科学に限らず、教育も、芸術も、社会のすべての営みを、人間の幸福のために生かしていく原理が、立正安国なのであります」
更に、伸一は「須すべからく一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」の御文では、仏法者の社会的使命について論じていった。四表とは、東西南北の四方であり、社会をさす。
「この意味は、『当然のこととして、一身の安、つまり、個人の安泰を願うならば、まず、四表、すなわち、社会の安定、平和を祈るべきである』ということです。
ここには、仏法者の姿勢が明確に示されている。
自分の安らぎのみを願って、自己の世界にこもるのではなく、人びとの苦悩を解決し、社会の繁栄と平和を築くことを祈っていってこそ、人間の道であり、真の宗教者といえます。
社会を離れて、仏法はない。宗教が社会から遊離して、ただ来世の安穏だけを願うなら、それは、既に死せる宗教です。本当の意味での人間のための宗教ではありません。
ところが、日本にあっては、それが宗教であるかのような認識がある。宗教が権力によって、骨抜きにされてきたからです」
28 立正安国(28)
参加者の目は、求道に燃えていた。
山本伸一は、更に、講義を続け、こう訴えた。
「世の中の繁栄と平和を築いていく要諦は、ここに示されているように、社会の安穏を祈る人間の心であり、一人一人の生命の変革による″個″の確立にあります。
そして、社会の安穏を願い、周囲の人びとを思いやる心は、必然的に、社会建設への自覚を促し、行動となっていかざるをえない。
創価学会の目的は、この『立正安国論』に示されているように、平和な社会の実現にあります。この地上から、戦争を、貧困を、飢餓を、病苦を、差別を、あらゆる″悲惨″の二字を根絶していくことが、私たちの使命なのです。
そこで、大事になってくるのが、そのために、現実に何をするかである。実践がなければ、すべては、夢物語であり、観念です。
具体的な実践にあたっては、各人がそれぞれの立場で、考え、行動していくことが原則ですが、ある場合には、学会が母体となって、文化や平和の交流機関などをつくることも必要でしょう。
また、たとえば、人間のための政治を実現するためには、人格高潔な人物を政界に送るとともに、一人一人が政治を監視していくことも必要です。
しかし、その場合も、学会の役割は、誕生のための母体であって、それぞれの機関などが、主体的に活動を展開していかなくてはならない。
その目的は、教団のためといった偏狭なものではなく、民衆の幸福と世界の平和の実現です。
また、そうした社会的な問題については、さまざまな意見があって当然です。試行錯誤もあるでしょう。
根本は『四表の静謐』を祈る心であり、人間が人間らしく、楽しく幸福に生きゆくために、人間を第一義とする思想を確立することです。
更に、その心を、思想を深く社会に浸透させ、人間の凱歌の時代を創ることが、私どもの願いであり、立正安国の精神なのです」 伸一の講義を通し、各地から集った講習会の参加者は、仏法者の社会的使命に目覚めていった。それは、社会の平和建設への自覚を促し、新たな前進の活力をもたらしたのである。
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