ドラゴンクスト ステータス (うんのよさ)

ドラクエのパロメータは、ちから、みのまもり、すばやさ、かしこさ、うんのよさ、HP、MPで構成されていますが
今回は「うんのよさ」に注目して考えてみます
パロメータの中でも、どうでもいいものと軽んじられる傾向にありますが、
うんのよさ は、ラリホーやマホトーン、などの補助系呪文やザキなどの即死させる呪文を受けた時にその効果を回避する成功率に影響します。
職業の中では遊び人が「うんのよさ」のパロメータが高く
ラックの種で上昇させることができます
現実世界で考えても、オリンピック選手や東大生などいくら能力が高いひとであっても、
いつ交通事故に遭ったり、病気になるか分かりません
この「うんのよさ」を重視した人物を紹介します。
阿佐田哲也(あさだ てつや 1929年3月28日 – 1989年4月10日)は東京出身の小説家です。
阿佐田哲也としての代表作、それは『麻雀放浪記』です。シリーズもので、全4巻で構成され、戦後の博打としての麻雀で生きる人々を描いています、
『哲也~雀聖と呼ばれた男~』として漫画化もされ、少年マガジンにて1997年から2004年まで連載されていました
阿佐田哲也というと麻雀が有名ですが、他にもチンチロリン(サイコロ賭博)、競艇、カジノなどのあらゆる博打に精通していました
やがて雀聖とも呼ばれることになる阿佐田であるが、彼の麻雀にはこんな哲学がありました。
「麻雀とは、ひと言でいえば運の取りっこだと思う。そうして、いわゆるテクニックとは自分の運を生かす知恵だと思う。したがって、綿密な注意力、それに加えて決断力(度胸)、さらにまた強い意志力が必要になってくるのは当然だ。これがない人はヤメたほうがいい」
これが、阿佐田の勝負哲学として有名な「運の総量論」の基本的な考え方です
これは阿佐田自身の勝負にとってキモとなる考えで、つまり運の総量が決まっているからこそ、無駄な運は使いたくない……という理屈になる
仏法の世界でも「福運」、という考え方があります。福運を積むことで交通事故や病気にあっても、転重軽受できます。
また僕の経験上、学会活動をすることで、どのパロメータも上昇しますが、
特にうんのよさというパロメータが上昇するような感じがします
1987.8.27 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)より
16 大聖人は、やはり四条金吾にあてられた御手紙のなかで「夫れ運きはまりぬれば兵法もいらず・果報つきぬれば所従もしたがはず、所詮しょせん運ものこり果報もひかゆる故なり、ことに法華経の行者をば諸天・善神・守護すべきよし属累品にして誓状をたて給い」と述べられている。
つまり、金吾が、敵人の襲撃を逃れたことを、大聖人は喜ばれ――福運がなくなれば兵法も役に立たず、また果報が尽きてしまえば、家来も従わなくなるものだ。あなたが強敵に襲われて無事だったのは、結局、福運と果報が残っているからである。とくに、法華経の行者に対しては、諸天善神が守護すると、法華経嘱累品で誓いを立てている――と示されている。
金吾が強敵に狙われながら無事であったのは、正法信受による福運と果報によるものであり、所詮は信心こそ肝要であることを御指南されていると拝されよう。
17 だからこそ大聖人は、そのあとで「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ、我が運命つきて諸天守護なしとうらむる事あるべからず」――いよいよ妙法に対して強盛な大信力を出していきなさい。自分の福運が尽きて、諸天善神の守護がないと恨むようなことがあってはいけない――と御指導なされているのである。
運も、不運も、結局、誰の責任でもない。そうした果報を生む因を積んできた自分自身の責任である。ゆえに、みずからの不運を嘆き、諸天の加護なきを恨んでも、仕方のないことなのである。
18 世の中には、運の良いように見える人生もある。逆に、不運の連続であるような人もいる。また、幸せの絶頂にありながら、急速に不幸の奈落へと転ずる場合もある。
ともあれ、福運が尽きてしまった人生ほど惨めなものはない。人類の歴史には、そうした人々の事例が、何万、何十万とあふれている。
戸田先生も、″福運のある人は、凧(たこ)が風をはらんで勢いよく上昇していくように、どんどん、上向きの人生を歩んでいく。しかし、いったん福運が尽きてしまえば、アッという間に、不幸の坂道をころげ落ちていくものだ″と、よく言われていた。
しかし皆さま方は、災いを福へと転じゆく、絶対の妙法を受持された方々である。先述したように、正しき信心こそ、限りなく福徳を積みゆく源泉の力なのである。私どもは、正法をたもった喜びと誇りも高く、はつらつたる前進を続けていきたい。
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