さまざまな師弟関係(ダイの大冒険)
今から約400年前の1592年3月28日は教育者コメニウスの誕生した日です。
「近代教育の父」「平和教育の先駆者」と謳われる。創価教育の父である牧口先生も敬愛しておられました。大学の教育学部で学ぶ教育理論の中でも必ず取り上げられます。
そのコメニウスは、「人類の破滅を救うには青少年を正しく教育するより有効な道はほかにはない」と訴えています。
学問であれ、スポーツであれ、芸術の分野であれ、その道を究めようと思ったら、やっぱり先生に教わる必要があります
偉大な事業を達成した人の生涯には、「先生との出会い」が、大きな転機になっていることが多い
ソクラテスとプラトン、ベートーヴェンとシューベルト、
コッホと北里柴三郎、吉田松陰と高杉晋作
亀仙人と孫悟空(ドラゴンボール) 安西先生と桜木花道(スラムダンク)
玄海と幽助(幽遊白書) 彦清十郎と緋村剣心(るろうに剣心)
東方不敗とドモン・カッシュ(Gガンダム)
野村克也と古田敦也、ジャニー喜多川とジャニーズのタレント、
つんく♂とハロプロメンバー等々
と挙げたらキリがありませんが、
中でも僕の大好きな漫画ドラゴンクエスト【ダイの大冒険】から
アバン先生と勇者ダイとの出会いを紹介します。
アバンは物語の主要人物の一人で
15年前の戦いでその当時世界を恐怖に陥れていた魔王ハドラーを倒した勇者です。
再び魔王が復活し世界の危機を感じたアバンはパプニカ王国の王家からの要請で共にデルムリン島を訪れ、ダイの才能を見出して7日で勇者に仕上げるというハードな計画を立てた。
そのときダイには奥義アバンストラッシュを授けました
しかし修行3日目に魔王ハドラーが襲来、ダイたちを救うために自爆呪文メガンテを唱えて消息不明となってしまった
その別れの間際にアバン先生は修業を終えた卒業の証である【アバンのしるし】をダイたちに授け、最後に次の言葉を残して自爆します
「勝てない相手だからこそ命をかける必要があるのです。
それにね、ポップ…。
修行でえた力は他人のために使わなければならない」
そして勇者ダイはアバンの弟子・ポップ、マァムら仲間とともに師匠の仇である復活した魔王を倒し平和を取り戻すべく旅に出るという物語です
小説「新・人間革命」17巻 本陣の章より
この部長会の席上、男子部長の野村勇が、伸一に質問した。
彼は、伸一が京大生を対象に行った「百六箇抄」講義の受講生であり、大学卒業後、本部の職員となり、前年十二月に男子部長の任命を受けたのである。
「『広布第二章』を迎えて、学会は社会に開かれた多角的な運動を展開していくことになりますが、その際、心すべきことはなんでしょうか」
伸一は即座に答えた。
「師弟の道を歩めということです」
5 本陣(5)
「師弟の道を歩め」――との山本伸一の答えに、野村勇は、意外な思いがした。
彼は、社会に開かれた運動を展開していくのだから、社会的に優れた多彩な人材を育成していくことではないかと、考えていたのだ。
野村が一瞬、不可解な顔をしたのを、伸一は見逃さなかった。
「君は、なぜ『師弟の道』なのか、疑問に思っているのだろう。 それは、遠心力と求心力の関係だよ」
伸一は、穏やかだが、力のこもった声で語り始めた。
「仏法を社会に大きく開いた運動を展開するというのは、これは円運動でいえば遠心力だ。
その遠心力が強くなればなるほど、仏法への強い求心力が必要になる。 この求心力の中心こそが、師弟不二の精神だ。
近年、青年部員には、社会で勝利の実証を示そうとの気概があふれ、社会貢献への意識も次第に高まってきている。
これは、すばらしいことです。しかし、広宣流布という根本目的を忘れれば、社会的な栄誉栄達や立身出世に流され、信心の世界を軽視することにもなりかねない。
また、世間的な地位や立場で人を見て、庶民を蔑視するようになってしまえば本末転倒です。
真実の人間の道、仏法の道を歩み抜いていくために、師弟の道が必要なんです。
ところが現代人は、師弟というと、何か封建的な、古めかしいもののように思う傾向がある」
野村は頷いた。
「実は、そこに現代の不幸があるといえる。 学問でも、武道でも、あるいは芸の道でも、何かを学び、究めようとするならば、必ず師匠、指導者が必要です。
ましてや人生の真実の価値を教え、人間の生き方を説く仏法を学ぶには、師匠の存在は不可欠です。
師匠がいないということは、生き方の具体的な規範がないということなんです」
仏法の師弟関係というのは、弟子を教化しようという仏陀である釈尊の慈悲と、法を会得しようとする弟子の求道の心から始まっている。
つまり、弟子の自発的な意志があってこそ成り立つ魂の結合といえる。
それは、大聖人と日興上人の関係を見ても明らかである。
6 本陣(6)
山本伸一は、さらに、仏法の師弟と、かつての主従関係や徒弟制度との違いに言及していった。
「主君と臣下、徒弟制度での師匠や弟子の関係は、身分的な上下関係でした。
そして、臣下や弟子は、主君や師匠に仕えて、忠誠を尽くすことを強いられてきた。
しかし、本来の仏法の師弟は、社会的な身分の上下ではない。出家という言葉からも明らかなように、世間を出て、世俗の身分などを超えたところから始まっている」
また、伸一は、仏法で師への随順を説いている理由を語っていった。
「法の正しい修得がなされなければ、仏道修行の成就はないからです。
たとえば車の運転を習うにも、教官の指導に従い、交通規則やハンドルの操作など、一つ一つ身につけていかなければならない。
自分勝手に車を操作したら、待っているのは悲惨な事故です。ましてや仏法には、自身の一生成仏がかかっている。いや、全世界の人びとの、幸福がかかっている。
その仏法への理解が浅かったり、間違っていれば、自他ともの幸福の道を閉ざしてしまうことになる。
だから、弟子を思うからこそ、師は厳しい。時には厳愛の指導もある。でも、師匠に随順していくことが大事なんです。
もちろん、人間としては対等であり、師は、慈悲をもって弟子を包もうとするものです。
四条金吾へのお手紙には、弟子を思う日蓮大聖人の御心が、いかに深く、温かいものであるかが、明確に表れています」
彼は御書を開くと、朗々と拝読し始めた。
「『返す返す今に忘れぬ事は頸切れんとせし時殿はとも供して馬の口に付きて・な泣きかな悲しみ給いしをば・いかなる世にか忘れなん』
当時、四条金吾は、大変な苦難と戦い、勝ち越えようとしていた。
大聖人は、その四条金吾が、六年前の文永八年(一二七一年)九月十二日の夜、竜の口の法難で馬に乗せられて処刑場に向かう御自分の供をし、馬の口に取りすがって泣き悲しんだことを、永遠に忘れませんと言われている。
いざという時の弟子の真心を最大に賞讃され、励まされているんです」
7 本陣(7)
青年たちは、身を乗り出すようにして、山本伸一の講義に耳を澄ましていた。
「大聖人は、続いて四条金吾に、こう断言されている。
『たとえ、殿の罪が深く地獄に堕ちたならば、日蓮はどんなに釈迦仏から″仏になれ″と誘われても、従うことはありません。あなたと同じく私も地獄に入りましょう。
日蓮と殿とが共に地獄に入るならば、釈迦仏も法華経も地獄にこそおられるにちがいない』(御書1173㌻、通解)
なんと温かい、大聖人の御心か。
ここには、弟子のために、すべてを捧げ、断じて護り抜こうとされる師匠の大慈大悲がある。
この真心と真心の絆が、広宣流布をめざすこの魂と魂の結合が、日蓮仏法の師弟なんです」 語るにつれて、伸一の言葉に、ますます熱がこもっていった。
「大聖人は、『華果成就御書』では、こうも仰せになっている。
『よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず』
師匠と弟子の心が違っていれば、何事も成就できない。最後は弟子で決まってしまうんです。
創価学会のこれまでの大発展は、師弟不二の、金剛不壊の団結によって勝ち得たものです。
広宣流布に生きる、師弟の使命を深く自覚するならば、恐れるものなど何もありません」
伸一は、青年部には真正の弟子として立ち上がってほしかった。そこに第二章を迎えた広宣流布の、未来の一切がかかっているからである。
彼は青年たちに、鋭い視線を注いで言った。
「大聖人が『師弟の本迹倶に皆久遠なり』と、法華文句の文を引いて御教示されているように、仏法の師弟の絆は限りなく深く、強い。
それを、教えてくださったのが戸田先生です。
先生は、牧口先生を師と定めて随順し、師弟不二の道を歩まれた。そして、戦時中は軍部政府の弾圧によって、牧口先生と共に逮捕され、投獄された。
ほかにも多くの弟子たちが逮捕されたが、臆病にも退転していった。違背です。裏切りです」
8 本陣(8) 師弟を語る山本伸一の話に、青年たちは襟を正して、緊張した顔で耳を澄ましていた。
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