キングカズ
#サッカー #キングカズ
#生涯青春 #新人間革命
2007年の5月12日はキングカズこと、三浦知良が当時のJ1日本人最年長得点を決めた日です。
昨年11月24日の最終節で、所属する横浜FCは愛媛に2―0で快勝し、自動昇格の2位で07年以来13年ぶり2度目のJ1昇格を決めた。後半42分から出場したキングこと三浦知良にとっても13年ぶりのJ1舞台となる
試合に出場すれば、中山雅史が持っている45歳2カ月1日のJ1最年長出場記録を更新し、ゴールを決めればジーコのJ1最年長得点記録41歳3カ月12日を塗り替えることになる
今年の2月26日、53歳になる。「基礎体力と技術があれば組み合わせ次第で新しい自分が見せられる」と前を向く。腹筋、腕立てなどのトレーニングでも必ず周囲より1回多くこなす。ラーメンを食す際も具材の成分を 栄養士に確認してから食べる。24時間全てをサッカーに費やしている。
引退の2文字は考えたこともない。「できれば選手のまま、カズのまま死にたい」と真顔で話す。4月にイスラエルでGKハイクが73歳で試合に出場したが、所属は4部リーグ。ウルグアイのMFカルモナが53歳でプレーし、ギネス記録にも認定されたが、こちらも2部リーグだった。53歳でのトップリーグ挑戦となれば世界的にも前人未到の領域だ。
「楽しみですね。イニエスタの股を抜きたい」
J1の舞台に戻ってくるキングカズ。2020年、新たな伝説が刻まれようとしている。
ただ、状況は限りなく厳しい。試合数が減ったことでJリーグ各チームはチケット収入が激減。スポンサー企業も新型コロナウイルスの影響を受けて業績が悪化しており、来年の支援を取り止める可能性がある。そうなれば高年俸のベテラン選手から解雇されていくのが常。
来季、カズが現役を続けられるのかは未知数だ。今年、記録を更新できず引退という可能性も捨てきれない。
それでもキングカズならなんとかしてくれるかもしれない。
(スポニチの記事より引用)
J1最年長得点記録
※2020年4月1日時点
順位 名前 チーム 年齢
1 ジーコ 鹿島
41歳3か月12日
2 三浦 知良 横浜FC
40歳6か月6日
3 中山 雅史 磐田
40歳5か月21日
4 中澤 佑二 横浜FM
40歳1か月14日
5 ドゥトラ 横浜FM
40歳1か月3日
6 サントス 清水
39歳7か月13日
7 中村 俊輔 磐田
39歳3か月20日
8 マルキーニョス 神戸
39歳3か月18日
9 遠藤 保仁 G大阪
39歳2か月23日
10 中村 憲剛 川崎F
38歳11か月6日
小説「新・人間革命」22巻 命宝の章より
29 命宝(29)
本部総会の会場となった県立体育館の壇上には、オレンジ色の花で飾られた地球を背景に、「健康」「青春」の青い文字が掲げられていた。明年のテーマが「健康・青春の年」であることから、製作されたものだ。
総会を祝賀し、音楽隊、鼓笛隊、合唱団による組曲「青春」が披露され、やがて、開会を告げる司会の声が響いた。
開催地・中国の総合長による開会の辞、明年の活動方針発表、青年部・婦人部・壮年部の代表抱負などが続き、会長・山本伸一の講演となった。
彼は、冒頭、この広島の地で、本部総会を開催したことに触れ、力強く訴えた。
「戦後三十年という一つの節を迎えて、二度と再び、あの人類の惨劇を繰り返してはならないという、私どもの重大なる決意をもって行われていることを、まず、はっきりと申し上げておきたい」
そして、明年のテーマ「健康・青春の年」に言及し、健康論を展開。仏法では、病の起こる原因をどう分析しているかを述べたあと、「真実の健康とは何か」について論究していった。
「健康とは、単に病気ではないという状態をさすものではない。また、身体が強健であることのみで、健康であるとは言えません。
心身ともに、健全に、生き生きとした創造の営みを織り成していくところにこそ、真の健康がある。どのような苦難をも乗り越え、最悪の環境条件さえも、かえって、飛躍の原動力に変えていくところに、真実の健康像があると申し上げたい。
したがって、一言にして、健康の本義を言えば、それは、絶えざる生命の革新にほかならないと考えたい。この生命の革新を可能にする根源の当体を、人間の内部に洞察して、″仏界″すなわち仏の生命と名づけ、現実に生命革新の道を開いた仏法こそ、人類の健康法を最も根源的に明かしたものであると私は信じますが、皆さん、いかがでしょうか!」
共感の大拍手がわき起こった。
30 命宝(30)
山本伸一は、「真実の健康とは何か」に続いて、「青春」について論じていった。
彼は、青春の根源をなすものは「生命の躍動」であり、青春には、たとえ、未完成であっても、偉大なる生命の燃焼があり、未知の世界への挑戦、はつらつたる革新のエネルギー、正義感、情熱等があると語った。
そして、青年期の信念を、死の間際まで燃やし続けるところに、真実の健康があり、青春が輝くと訴え、仏法の歴史においても、変革者は、常に「生涯青春」の姿を示してきたことを述べた。
涅槃の直前まで、法を求める衆生に教えを説き続けた釈尊。御入滅の年まで、なお御書を認め、弟子の指導に全力を傾けた日蓮大聖人。学会の歴史においても、殉教の先師・牧口初代会長は、取り調べの場で堂々と仏法を説き、戸田第二代会長は、逝去の寸前まで妙法流布の構想を練り、指揮を執り続けたことを、伸一は語った。
「私たちは、こうした仏法を体得した先覚者の生き方に、宇宙生命と交流しつつ、輝ける青春の生涯を貫いた、真に偉大な人間の理想像を思い描くことができるのであります。
私どももまた、いつまでも若々しい健康美にあふれ、青春の息吹に満ちた、生涯青春の生き方を全うしてまいりたいと存じますが、皆さん、いかがでありましょうか!」
この伸一の呼びかけに、参加者は、大拍手をもって応えた。
次いで、彼は、「大宇宙と人間生命をともに貫き、支え、生み出す根源の一法こそ、南無妙法蓮華経である。仏法の実践によって、その根源の法とわが生命を合致させていくことによって、真に健康と青春の人生が送れる」と、確信を込めて訴えたのである。
広宣流布のために戦うなかで、生命は活力を増して、健康と青春の息吹がみなぎる。ゆえに、大聖人は、「年は・わか若うなり福はかさなり候べし」と仰せなのである。広宣流布に生きる人の生命は、「生涯青春」である。