動画 おうちde御書 【減劫御書】
背景と大意
本抄は内容から、日蓮大聖人が建治2年(1276年)ごろに認められたお手紙で、
駿河国(静岡県中央部)の門下・高橋六郎入道の死後、その縁者に送られたものと考えられます。
題号の「減劫」とは、人々の心のうちの“貪瞋癡(貪り・瞋り・癡か)の三毒”が盛んになる時代のことをいいます。
本抄御執筆の当時は、蒙古の再来に対する危機感が国中に広まっていました。
大聖人は本抄で、仏教の誤った教えが不幸の根本原因であると指摘されます。そして、大悪は大善の起こる瑞相(前兆)であり、今こそ広宣流布の時であると述べられています。
まず法華経法師功徳品第19の文や、それを解釈した天台大師の言葉を通して、
政治や経済など、日常の生活や社会の万般にわたる営みは、決して妙法と異なるものではないことを示されています。
さらに「智者」とは、世間の法から離れて仏法を行ずるのではなく、現実社会において、世を治める法を心得ている人のことであると仰せです。
仏法の智慧と慈悲の力で、社会に貢献し、社会を正しく導いていく人が智者なのです。
どこまでも「仏法即社会」であり、「信心即生活」です。現実を離れて仏法はありません。
私たちの実践で言えば、職場や地域、家庭など、今いる場所で信心根本に努力し、誠実な振る舞いで信頼を勝ち取っていくことが大切です。
小説「新・人間革命」18飛躍の章では
今から47年前の一九七四年(昭和四十九年)の新年勤行会の中で、減劫御書の一節を通じてご指導されている様子がつづられております
小説「新・人間革命」18 飛躍の章より
学会が「社会の年」と定めた一九七四年(昭和四十九年)は、第四次中東戦争、石油危機に始まった世界経済の激動のなかで幕を開けた。
元日の午前十時、全国各地の会館などで、新春恒例の新年勤行会が、一斉に開催された。
この年の勤行会は「世界平和祈願広布勤行会」を兼ねて行われ、「仏法即社会」の原理のうえから、社会で勝利の実証を打ち立て、貢献していくことを誓うとともに、世界平和への深い祈りを捧げる集いとなった。
どの会場でも、参加者の顔は、決意に燃え輝いていた。
″今こそ、私たちが立ち上がるのだ。試練の時代だからこそ、仏法を持った私たちが、希望を、勇気を、活力を、社会に発信していくのだ!″
多くの同志は、そう誓って、喜々として勤行会に集って来たのである。
学会本部での勤行会に出席した山本伸一は、マイクに向かうと、「減劫御書」の一節を拝した。
「大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ」
そして、確信のこもった声で語っていった。
「大聖人御在世当時、社会は、大地震や同士打ち、また、蒙古襲来と、乱れに乱れ、激動しておりました。
しかし、大聖人は『決して、悲観すべきではない。むしろ、こういう時代こそ、仏法の広宣流布という大善が到来するのである』と宣言されているのであります。
私どもは今、戦後最大といわれる経済の激動のなかで、日夜、広宣流布に邁進しております。筆舌に尽くしがたい困難もあるでしょう。
だが、どんな障害があろうが、『大悪は大善の来るべき瑞相』であると、強く、強く確信し、いよいよ意気盛んに大飛躍を遂げてまいろうではありませんか!」
伸一の呼びかけに、「はい!」という明るい声がはね返った。
すべての逆境を前進のバネへと転じていくのが、信心の一念なのだ。
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