ひろゆき氏と創価思想の比較研究【異世界生活】
みなさん、こんにちは
この動画では、
今、若者の間で人気のある
2ちゃんねるそうし者
ひろゆき氏と、創価学会の思想を、テーマにそって
比較していきたいと思います
今回のテーまは、異世界転生についてです
最近のアニメでも異世界ものというジャンルが人気があるようです。
皆さんのなかにも、どこか遠い世界に行ってみたいと思ったりすりこともあるのではないでしょうか
ではまずは、ひろゆき氏の考えを聞いてみましょう
いかがでしたか
この考えを聞いて皆さまは何を感じましたか
つづきまして
小説新人間革命第6巻ほうどの章の中で、海外生活になじめない婦人に対するご指導がつづられておりますのでご紹介いたします
伸一は、彼女を笑顔で包み込むように語り始めた。
「イランは、日本から遠く離れているし、言葉も通じなければ、食べる物も、気候も、習慣も違う。奥さんは、こんなところに来てしまって、大変なことになってしまったと、思っているのではないでしょうか」
彼女は素直に頷いた。
「はい。ここは、私にはとても合いません。一刻も早く日本に帰りたいというのが、私の正直な気持ちなのです」
「どういう点が、自分には合わないと感じられるんですか」
「何もかもです。
それに、心から打ち解けて話せる友人も、ここにはいませんし……」
夫の上野英夫が困惑した顔で語った。
「妻は、いつもこう言うものですから、私も困っているんです。私のここでの仕事が終わるまでには、まだ、最低一、二年はかかるようですので……」
伸一は、労るように頼子を見て、言葉をついだ。
「奥さんは、悩んでこられたんですね。大変だったでしょう。
しかし、どこにいても、苦しいと思うか、そこに意義を見いだして、喜びや充実を感じていけるかどうかは、最終的には、自分自身の一念であり、心の持ち方ですよ。
初代会長の牧口先生は、戦時中、牢獄のなかにあっても、『心一つで地獄にも楽しみがあります』と言われています。
イランといっても、今では、飛行機だと、日本から一日で着いてしまう。考えようによっては近いところではないですか。
そもそも、この地球自体が、大宇宙から見れば、小さな小さな星であり、そのなかの更に小さな島が日本です。
そんな小島に、一生、閉じ込められて生きるより、十年や二十年ぐらい、広々とした国で暮らせる方が、はるかに楽しいではないですか」
眼前の一人に対して、幸福の道をいかに開くか。
そこに、仏法者の実践があり、また、それが創価学会の発展の源泉となってきたのである。
山本伸一は、上野頼子の心中を考えながら、懸命に励まし続けた。
「人間は、悲観的になると、心が暗雲に覆われ、喜びも、楽しさも、希望の光も、自らさえぎってしまうことになる。
仏法というのは、最高の楽観主義なんです。苦しみに満ちた娑婆世界のなかに寂光土があると教え、どんな悪人や、不幸に泣く人でも、仏になると教えています。そこには、絶望はありません。あるのは、無限の幸福への可能性を開く、無限の希望です。
あなたは日本での生活を理想とし、それと、このテヘランでの生活を比べ、落胆しているのではないでしょうか。
しかし、実際には、日本にいた時でも、それなりに悩みも苦しみもあったのではないかと思います」
上野頼子に代わって、夫の英夫が答えた。
「ええ、そうなんです。日本では、私の母と同居しておりましたが、母と別れて暮らしたいというのが、妻の願いでした。二人は折り合いが悪かったんです。
でも、妻も努力していました。母も努力していたと思います。ところが、妻は完璧を求める性格なものですから、自分で努力して、思うような結果にならないと、自信をなくし、落ち込んでしまうんです」
伸一は、大きく頷くと言った。
「奥さん、人間には、完璧な人はいないし、また、すべて満たされた理想的な生活環境というものもありません。
しかし、あなたは、妻である自分はこうあらねばならない、姑はこうあるべきだ、あるいは生活環境はこうでなければならないと、自分の頭のなかに理想的な基準をつくってしまっているように思います。
そして、その観念のモノサシに現実を合わせようとする。ところが、現実というものは、理想や観念の尺度に、きちんと合うことはあり得ない。
すると、ここが悪い、あそこが悪いとなり、失望が重なって、不平や不満だらけになってしまう。
それは、たとえば、桜の木を基準に梅の木を見て、これは変な桜だと言って、落胆しているようなものでしょう。
むしろ、こうでなくてはならないという、頭のなかでつくり上げた基準にこだわらず、もっと自由にものを見るべきです」
山本伸一は、噛んで含めるように、上野頼子に話していった。
「テヘランでの生活は、慣れないために、確かに大変な面もあると思います。でも、多かれ少なかれ、どこにいても、大変なことや、いやなことはあります。それは、どんな生活環境でも、どんな人間でも同じです。
百パーセントすばらしい環境もなければ、そんな人間もいません。
あなたが基準とすべきは日本での暮らしではなく、ここでの生活です。それが現実なのですから、まず、そのまま受け入れ、ありのままに見つめてみようとすることです。
経文にも『如実知見』、つまり『実の如く知見す』とあります。これは仏の智慧についていわれたものですが、私たちが生きるうえでも大事なことです
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